コレは手痛い批判

東亜日報中央日報などは社説で、「歴代の談話の中でも一歩前進した歴史認識」(東亜)などと評価。そのうえで「行動が伴わなければリップサービスにすぎない」(中央)と主張した。

http://www.asahi.com/international/update/0811/TKY201008110085.html
Σ:)<自民党の批判がイタいんだが
靖国参拝は永久戦犯がいるからダメとの認識
Σ|D<しかしな、日本は赦す国だったんですよ。ソサノヲも意味がなく暴れたんじゃない
何族ですかね?
Σ:)<血統は分からんが、義兄弟システムが継承されてるから兄弟認識は案外
思ってたより違う。ましてや中国は血縁よりも同族意識だから
Σ:)<慣習を覚えないと、いけないんだけどね
しかしクレジットカードをどうやって維持するか
Σ|D<請求書見て考えます。わらい

談話に盛り込まれた、文化財の引き渡しについても「歴史的和解の象徴」といった評価が目立った。朝鮮日報は引き渡しの範囲に関して「宮内庁所蔵分だけでなく、全国の公立博物館などにある図書のうち、朝鮮総督府が搬出したものすべて」との権哲賢・駐日大使の見解を紹介した。

Σ|D<核兵器落とす気マンマンだな(わらい
いや、渡していいんじゃねっすか? 別に
Σ:)<なんで?
人が財産ですよ。モノは貴重かもしれないが命を懸けて守る情報に値しない
ΣXD<なんでよ!?
その程度で壊れるようなモノには生命力がないので。マジレス
Σ|D<ギコ猫が言うから説得力がありますね(わらい
……違うというに

いや、コレは確かに笑う麻呂



そして悲しい物語
Σ|D<いやぁ、何か色々あったのだろうなぁ
でしょうな

仲麻呂は帰国を断念して唐で再び官途に就き、天平宝字4年(760年)には左散騎常侍(従三品)から鎮南都護・安南節度使(正三品)として再びベトナムに赴き総督を務めた。天平宝字5年(761年)から神護景雲元年(767年)まで6年間もハノイ安南都護府に在任し、天平神護2年(766年)安南節度使を授けられた。最後は潞州大都督(従二品)を贈られている。結局、日本への帰国は叶えられることなく、宝亀元年(770年)1月に73歳の生涯を閉じた。

wikipedia:阿倍仲麻呂
Σ:)<うーん
でも結構長生きしてますね
Σ:)<よく見ると色々考える

595 :名無しさん@十一周年:2010/08/11(水) 19:39:46 id:ZkJxe/O9O
あれだ。最近2ちゃんもバカな規制連発によるユーザー離れによる落ち目で、
ろくに2ちゃん発のブームないから、無理してブーム作ろうと必死なんだな。

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1281100346/l50
Σ|D<コレは手厳しい