のぼっておりる

Σ:)<マニフェストと公約の違い
白紙化と撤回による国づくり
Σ:)<なんかわからんなぁ。税収が落ち込んで赤字国債で予算を補填

日本の神は本来、祟るものであり、タタリの語は神の顕現を表わす「立ち有り」が転訛したものといわれる。流行り病い、飢饉、天災、その他の災厄そのものが神の顕現であり、それを畏れ鎮めて封印し、祀り上げたものが神社祭祀の始まりとの説がある。

wikipedia:祟り
Σ|D<なんすかね?
物質的な祟り信仰よりも、実質的な祟りを偽装した制裁の方が多い気が
Σ:)<理屈は判らないが制裁に対してどう行動するか
人権侵害、か。

見解によると、78年10月に靖国神社松平永芳宮司(当時)による「抜き打ち的」なA級戦犯合祀により、その後天皇を含めて「わだかまりなく参拝できなくなっている」状態になったと指摘。「合祀の経緯を検証し、国民の意見を幅広く聞き改めて判断するため、『宮司預かり』の状態に戻す」よう提言した。

http://mainichi.jp/select/today/news/20091215k0000m040132000c.html
Σ|D<これもよーわからんのだよな。分け御霊という概念はあるが遷宮
分祀してますー。と観念的に
Σ:)<戦争被害者とA級戦犯を同一視するな、と
で、戦争を指導してたのはスポンサーだと思うんだが。実行部隊じゃない気が
Σ|D<政権が実現したら暮らしがよくなります!
……良くなったのか?

合祀反対運動 [編集]
氏子・崇敬者の側としては、反対集会を開くこともあったが、主として大きな運動もできず、合祀によって廃された神社の祭神が祟りを起こしたなどと語る形でしか不満を示すことはできなかった。

とはいうものの、この合祀政策は、博物学者・民俗学者で粘菌の研究で知られる南方熊楠ら知識人が言論によって強い反対を示すことによって次第に収束して、帝国議会での答弁などを通して、1910年(明治43年)以降には急激な合祀は一応収まった。しかし、時既に遅く、この合祀政策が残した爪跡は大きく、多数の祭礼習俗が消えてしまい、宗教的信仰心に損傷を与える結果となった。

wikipedia:神社合祀
Σ:)<つまり、なんだろう?
なんでしょうかね?
Σ:)<いや、祟りの謎
超越的な自然現象を祟りと言う感じなんだけど
Σ:)<その原因が人の為した事である、という。
いやねぇ、考えてみれば輪廻転生感に共通する概念のおかしさかなぁ?
Σ|D<輪廻転生はありますか?
あったとしても、昔の人の当時と今では人数が違うので、薄まっている気が
Σ:)<濃さ薄さ、ですか
で、文献により生き方が変わっていく、なんてのはあるかと思います
Σ|D<それが実際の輪廻転生感。ある思想を持った人が共通の概念を共有する
反体制ってわけでもないんだけど。で、分祀ってのは
Σ:)<完全に移るんじゃなくて、コピーを用意する、みたいな考え方だと思う
勧請とかそのへんの。
Σ|D<お移り頂く、ってのは遷宮中に御神体を変えるってことで遣られてますから
それもそーだなぁ。伊勢神宮で旧遷宮地を熱心に参詣してる人もいないか。
Σ:)<ま、それによって祟りが静まる信仰?
明らかに。難しいところではあります

で、実質的な祟り

Σ|D<で、実質はこうだよなぁ。

戦時犯として著名な人物が祟りを為して、特定アジア諸国からツッコまれる事となった。

えーと、神社の信仰の概念を根本から覆す祟られっぷり
Σ:)<リアルでこうなのでありますが。

現在では一般的に、人間が神の意に反したとき、罪を犯したとき、祭祀を怠ったときなどに神の力が人に及ぶと考えられている。何か災厄が起きたときに、卜占や託宣などによってどの神がどのような理由で祟ったのかを占ってはじめて人々に認識され、罪を償いその神を祀ることで祟りが鎮められると考えられている。

wikipedia:祟り
Σ|D<ふむ。
よーわからんけど、ちゃんとした……占い?

何か災厄が起きたときに、卜占や託宣などによってどの神がどのような理由で祟ったのかを占ってはじめて人々に認識され

Σ:)<科学的な論拠で何か問題がある、という訳ではないんですか
理屈で。
Σ|D<理屈ならしょうがない。でも感情的には納得できる部分があるんだ
ねぇ。
Σ:)<つまり、祟りとは何か!

blogの記述により、記述者に対して実社会で起こる何らかの事件

Σ|D<これがネット祟りですな!
不特定多数へ。世界中に発信する。
Σ:)<ツー問題があるから、匿名が推奨されるんじゃないのかなぁ?
生活がある人らですね。たぶん
Σ|D<あんたはないのかよ!
ありますがよ!
Σ:)<どーにも、まずい様子です。